
manten sesame
Nabeshima Komon
まんてんの、鍋島小紋のごま

包装紙意匠「鍋島小紋」柄使用 株式会社まんてん
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鍋島藩ご用達の、古えの鍋島小紋のごま。
歴史の中に埋もれかけていたそのごまは、鍋島藩の武士の正装である裃(かみしも)の柄に用いられていたごま模様(鍋島小紋)の発見によって日の目を見ることになりました。
一般的に、着物には縁起の良い柄が用いられます。
藩の御用達の柄に、ごま模様が描かれたのは何故でしょう。
当時のごまは、食用だけでなくエネルギー源でもありました。
灯りをともすための油は電気のない時代の貴重品です。
また日本のある地域では、戦に出る武士の栄養源としてごま団子で力をつけたという記録があるように、ごまは大切な栄養源だったのだと思います。
そのようなごまの力を知っていたからこそ、鍋島藩が栽培を奨励していたというのも、納得。希少な価値を、着物の柄に用いて身にまとったのですね。
まめ知識
【裃(かみしも)とは】
昔の武士の正装。
主君の下に出仕する際に着用し、お留の型と言われました。他の藩が使うことはできませんでした。
【鍋島小紋】
小紋(こもん)とは、着物の種類の一つ。
全体に細かい模様が入っている着物のことを言います。その柄が鍋島藩オリジナルということで、鍋島小紋と呼ばれました。
別名を「胡麻柄紋」と呼ばれています。
【ごま模様】
小紋柄は江戸時代(1603-1868年)に発生したと言われています。小紋柄の歴史は少なくとも約150年ほど。
鍋島小紋の模様になったごまが、それ以前から栽培されていたであろう事を考えると、ごまは佐賀の歴史に古くから根付いていたことが伺えます。
現在は、地元の佐賀県民でも、鍋島小紋柄の存在や、鍋島藩奨励のごまが栽培されていた事をご存知の方は少ないようです。
少しでも佐賀の歴史の一部分をひもといていただけたら。そのような思いで、鍋島小紋のごまを現代に復活、あらためて栽培をはじめています。

4心皮性



ごまの実のことを「鞘」(さや)と言います。鍋島小紋の文様は、鞘の横断面です。
佐賀で栽培されていたごまは、一般的なごまと、この鞘の形が違い、鍋島藩特有のごま模様に描かれているのです。
上の写真のように、ごまの実の横断面を大きめにあしらい、鞘そのものを上から見た形が周囲に小花のように配置された柄。
因みに、一般的なごまの断面図はこちら↓鍋島藩のごまでなければ、この模様は出来なかったのですね。

2心皮性
【ごまの産地と生産状況】
日本で消費されるごまの99%が外国産!
国内産のごまは、わずか1%のみ。そのごまの中で、古くから佐賀に根付いていたごまには上記のような特徴があり、大変希少です。
消滅しかけていたものが、現代に再発見されたのはすごいことです。鍋島小紋のごまは、歴史に息づく生存力の強さも持っていたのですね。
世界的なごまの生産国は、主としてアジア・アフリカ・中南米諸国。日本では、生産量は極小でそのほとんどは鹿児島県の喜界島です。
佐賀県では、各農家が空き用地で自家用目的で栽培を行っていましたが、作り手・収穫量ともに少なく、
商業ベースでの栽培は、ほとんど行われていませんでした。現状、佐賀県の作物統計実績にも記録がありません。
【鍋島小紋ごま、開発コンセプト】さが農商工連携事業採択(佐賀県)/栽培研究 地域資源活用事業採択(経産省、農水省)/新商品開発
現在のごま産業には、以下のような問題点があります。
1.輸入品のほとんどは産地や栽培者が不明確で、トレーサビリティーが取れず不安。
2.相場(消費量増による相場上昇)や為替(円安)の変動で価格が不安定。
3.農薬の微量汚染の懸念がある。
弊社では、上記の問題点を解決するために、ごまの栽培を地元農家に委託し、それを商品化する方法を考えました。
それに加えて、鍋島直正公が農民に栽培を奨励した、由緒あるごま栽培の灯を消したくないという思いから、ごま一筋に生業を得てきた弊社が
鍋島小紋ごまを商業ベースに乗せ、生産量を安定化させることは、歴史的・社会的な意義が大きいと考えております。
今までは各農家が空家用地で自家用に栽培していたごまを、弊社が買取ることで農家の方には収入をアップしていただけます。
ごま作りは、現役を引退されたお年寄りの方の仕事にも適しています。健康増進の一助となり、地域目線で考えたときにも、休耕地の有効活用に貢献いたします。
以上のことから、のちのち生産量が増えることで、佐賀=ごまのブランド意識が高まり、地域活性化に繋がることを目指し、邁進いたします。